NO101-NO110

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NO101. 記念特集2 自然の循環

薪を燃やして作る木炭と、化石燃料の石炭、名前も似ていますが成分も同じで、ほとんど炭素でできています。石油は炭化水素と言う成分、薪は炭水化物が成分です。これらは炭素と水素が含まれているので、燃やすと水と炭酸ガスになります。一方木炭や石炭は炭酸ガスになります。化石燃料の石油や石炭には地下に堆積するときに含まれた硫黄分が含まれていて、精製して使う石油からは脱硫で除かれますが、そのまま使う石炭は燃やすと硫黄分が大気を汚染します。今回はこのことは考えません。同じ炭素からできた木炭と石炭を燃やした時同じように炭酸ガスが同じ程度出ますが、温暖化への影響は差があるのでしょうか。

石油や石炭といった化石燃料を燃やすと炭酸ガスが大気中にでて、温暖化の原因となると言われています。ところで薪や木炭など、木を燃やしても炭酸ガスが出ますが、これらは温暖化の原因ではないと言われています。発生する炭酸ガスは同じなのに、この違いは何でしょう。

今からでは手遅れかもしれませんが、温暖化の速度を下げるため炭酸ガスを出さないことは間違いないようです。化石燃料は温暖化の原因だけど、木を燃やすのはどこが違うのでしょうか。それは燃やしてできる炭酸ガスのその後の行方にあります。木は成長するのに千年以上かかるものもありますが、薪にする木は10年ほどで伐採できます。森で木の世代交代はもっと長いのですが、燃料の薪や炭については、10年余りの周期で、成長、伐採、薪、燃料、炭酸ガス、光合成で炭酸ガスを取りこんで成長、と言うように循環します。

炭酸ガスの収支を見れば、燃えてできた炭酸ガスと同じ量を成長の時に大気中から吸収するので木を育て薪にしている限り、よけいな炭酸ガスは薪からではなく、このサイクルから発生しません。炭素が木の細胞にあるか、燃えて炭酸ガスになっているかの違いで、このサイクルの中に収まっています。これが薪は温暖化の原因ではないと言う理由です。ただし森林を育てると言う大前提があります。一方の化石燃料の炭素の循環はどうでしょうか。これは循環していません。太古に地下で出来た化石燃料は一度燃やして炭酸ガスにしたら再び化石燃料になることはたぶん未来にもないでしょう。化石燃料のまま地下にあれば炭酸ガスにはならないのに、燃やすと炭酸ガスが発生するだけで、吸収されることはありません。このように、化石燃料と薪の違いは発生する炭酸ガスの量ではなく、炭酸ガスを再吸収するサイクルがあるかという差です。

では炭酸ガスを発生しない燃料なら良いかということです。これも燃やした時炭酸ガスを出すかではなく、そのサイクルでの炭酸ガスの収支で決まります。原発や太陽光発電、燃料電池や最近、国が進める水素燃料は燃やす時(発電時)炭酸ガスを出しません。しかし原発のウラン燃料を採掘、精製時に大量の化石燃料を使います。水素燃料も、水素ガスは自然には存在しませんのでエネルギーを使って作ります。薪を切る時のチエンソーの燃料と、ウラン燃料の製造に使う燃料の差を考えてください。薪を燃やした灰はそのまま肥料になりますが、使用済み核燃料の処分にかかる燃料はとんでもない量です。

以前、街の方の自宅の庭をつぶして、駐車場にする工事を工務店に頼んだ時のことです。駐車場の地面をコンクリートかモルタルにしないかと言われました。理由はみなさん、車に泥がはねないからというのです。地下水浸透の話を工務店に行ってもしょうがないので、将来車を使わなくなったらまた庭に戻すので、またコンクリートを斫る(はつる)のは無駄なのでと砂利にしてもらいました。コンクリート床の場合は、雨水用の排水枡を作るなど、よけいな費用がかかりますが、砂利ならそのまま地下に浸透です。ご近所さんは、庭がない、駐車場はコンクリート張りでアスファルトの道路まで、雨水が地下に浸透する地面がありません。大雨になれば側溝があふれます。

子供が砂場で(最近は砂場がありません。ペットの糞で大腸菌汚染しているかもしれないのでと使わせない、作らないです)砂山や川を作り、バケツで水を流して川の流れを作ろうとしても、水はすぐ砂に浸みこんで川は流れません。実際の川は水がしみこまないようになっているのでしょうか。U字溝や、用水路、護岸工事をした3面張りの人口河川は水は地下に浸透しません。でも自然の河川は粘土で底が覆ってあるわけではありません。河川水は地上を流れる表流水以外に、地中を流れる伏流水があります。河川に沿って川底や横の礫の層を流れています。時には表流水が無くなり、水無川になって伏流水だけのこともあります。伏流水は河川法や水利権では河川として扱われます。地下にはこれ以外に地下水の水脈があります。地下には水を通さない地層があり、この層の上下に地下水が流れています。

夜汽車で地方を旅行すると、水面がずーっと続き、月明かりが映って、線路が湖の横を走っていると錯覚することがあります。昼間だったらすぐ水を張った水田が続いていると分かります。最近では無くなりましたが、水田は稲刈りの時期に水を抜く以外、冬でも水を張っていることがありました。それと長野にも多いですが、ため池。水田も、ため池も底に粘土の層があり水が抜けないようになっていますが、コンクリートの水槽のように完全防水ではありません。むしろ少しずつ水が浸透するようになっています。山に降った雨が地下浸透して河川になり、海に注ぐ大循環以外に、里には雨水や、農業用水をいったん水田やため池に貯めて徐々に地下浸透させ、地下水にして、井戸水や湧水となる小循環が全国にあるのです。ため池を埋め立てたり、水田に水を張らなくなることが地下水枯渇につながります。

黒姫高原の庭に昨年植えた水芭蕉が雪に埋まっています。黒姫の台所に置いてある野菜は夜の間に氷点下になって凍ってしまいました。冷蔵庫の方が凍らず保存できます。雪国で、畑の野菜を収穫しないで、畑に残しておき、雪が積もってからほりだして使う知恵と同じです。雪の下は外気温が氷点下になっても0℃に保たれています。植物の代謝は0℃でも、糖の分解、合成が行われていますが、細胞の水が氷ると細胞が破壊してしまいます。水芭蕉は雪に埋まることで、外気温がマイナス10度にも下がっても、水と氷の平衡温度の0℃に保たれ凍りません。

氷は金属などと同様、温度を伝えやすく、植物の表面に氷がつくと外気温がそのまま伝わります。一方雪は違います。氷と違って空気の層を含むので逆に断熱効果があります。また水が氷るときには大量の凝縮熱が必要です。水と氷の混合状態では全部こ氷になるまで温度は0℃のままです。昨年は植木鉢を外に放置して鉢の部分の根が凍ってしまいましたが、水芭蕉は雪の下で春まで代謝を続けているはずです。

今 工作でハンダを使わなくなりましたが、溶けたハンダが固まると体積が減ります。ふつう金属は液体より固体の結晶の方が密度が大きいです。液体の一部が凝固すると結晶は底に沈みます。ところが水は液体の方が固体の氷より密度が大きいので氷は上に浮かびます。氷が水に浮かぶのは当たり前と思うかもしれませんが、固体の方が液体より軽いのは稀です。そのおかげで冬になって池の表面に氷が張っても下は凍りません。もし氷の密度が水より高ければ、寒風で池の表面が凍るとできた氷は底に静んで貯まり、ついには池全体が氷になります。さらにもっとすごい凍らない仕組みがあります。液体は温まると体積が膨張し密度が下がりますが、水は4℃が一番密度が高く、それ以下ではまた軽くなるのです。この池の底には4℃の水が溜まります。4℃では魚はまだ凍りません。

このように水にはいろいろ不思議な性質があります。NO102からはまだまだこうした水の話を続けていきます。【分類:水道】

[ 2016/01/24 ]  『黒姫高原理科教室』 NO101. 記念特集2 自然の循環

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NO102. 映画1001グラム

普通のラブロマンス映画のテーマに、化学のアボガドロ定数が出てくるものを長野市の相生座ロキシー座で見ましたので、黒姫高原理科教室で紹介します。ノルウエー映画の新作、「1001グラム計り知れない愛のこと」です。キログラムの単位は、パリにある国際キログラム原器を基準に、各国にある1キログラムの分銅がその国の基準に成っていて、何年かに一度各国の基準分銅をパリの物と比較します。映画はその分銅をパリに運んでいて壊してしまった女性研究者がどう対応するかというコメディですが、実はメートル法の哲学的なものがテーマでもあり、科学的にもしっかりした内容に成っています。

予告編でキログラム原器の話と言う事は知っていましたが、いきなり最新のキログラムの定義の話や、アボガドロ定数という言葉が主要な話として出てきてびっくりや感動です。しかもそれがメインテーマで、メートル法を国際単位で使う哲学的問題まで深く突っ込みながら、ラブロマンスとして楽しい作品になっています。メートル法はSI単位といいます。英語ならインターナショナルスタンダードの略でIS単位となるでしょうが、メートル法は英語ではなくフランス語式で逆です。いまだに非メートル法のインチ、フィートを使うアメリカ映画では作られる筈の無い、ヨーロッパだから出来た映画です。

その前にメートル法のおさらいです。MKS単位系とも言います。メートル、キログラム、セコンド(秒)の頭文字です。この長さ、質量、時間の3つの単位に電気の単位アンペアを加えた4つの単位が基本単位です。たとえば速度は距離/時間ですから、メートル/秒で単位はm/sといった具合に、他のいろいろの単位は基本単位を組み合わせてできています。

長さの基本単位、メートルにはメートル原器という1メートルの長さの国際原器があり、各国はその原器の複製を持っていました。しかしより精度をもとめて、今ではいろいろな単位は、原器ではなく、原子の波長とか振動数を使って、科学的に決められるように成りました。メートル原器も今は使われていません。ただし、重さについては別です。質量、キログラムの単位は今でもキログラム原器が国際基準です。

さらに昔は、1キログラムは水1リットルの重さと決められていました。当時はそれで十分でしたが、水は温度によって体積が変わり科学の発達に伴い精度が不十分と言うことで、正確に1キログラムの分銅を錆びない白金で作りこの質量を基準にすると決めました。各国にはこの分銅の正確なコピーを作り配りました。本体はパリの本部の金庫に保管されています。

今、野菜など店頭で売られている商品に付いたバーコードを調べると、このキュウリがどこでいつ頃誰が作ったかを遡れるシステムがあり、これをトレーサビリテイと呼んでいます。遡って調べられると言うような意味です。キログラムもトレーサビリテイと呼んでいます。パリの国際原器から同じ重さに作った複製を各国がその国の基準原器にして、国の校正用の分銅を作り、その分銅で測って計量機会社は親分銅を作り、それで校正して商品の分銅を作るといったシステムです。研究室や店舗にある秤の分銅をどうやって作ったかを逆にたどって行くと、世界中の分銅は、枝分かれしたトレーサビリテイの一番基はパリにある1個のキログラム原器に行き着くのです。このトレーサビリテイは一度親から子供の分銅を作ったらおしまいではなく、定期的に親と重さを比較して狂いを確かめます。これを定期校正と言います。

キログラム原器は白金で出来ています。鉄で作らないのは権威を保つからではなく、錆びない様にです。天秤のメーカーのサービスマンが天秤の校正をしているのを見ると、白い手袋をしてピンセットで取り扱っています。メーカーの校正用の分銅程度ならキログラム原器と違って、特別な方法ではなく、私たちが普段行う科学実験の操作と同じような要領です。素手で触ってわずかな油分がつくのはもちろんだめですが、空気中のいろいろな化学物質が分銅の表面に吸着するので、いわゆるヤニがつくです、時々分銅の表面をアルコールで拭きます。これをしないと分銅がわずかづつ重くなります。

ここで論理的な問題があります。他の単位は地球の自転時間とか、原子の振動とかの自然現象が基準です。一方今のキログラムは基準原器の質量が基準なのです。実際には複製が2個あってバックアップしていますが、定義では、この分銅の重さを1キログラムと決めた訳です。パリの金庫に保管されている分銅は、3重のガラス容器に入っていて、周りの空気から遮断されています。普段は使わず、複製品を使って、本体はたいへん大切にしていますが、それでも少しづつ表面に化学物質が吸着して重くなります。定義で行けば、分銅の重さが自然現象で増えたら、それが新しい基準です。手で触った時は拭く必要があります。表面に付いたヤニは残すか、拭くか悩むところです。映画でも分銅を洗う派と洗わない派に分かれる話が出てきます。

メートル原器で、19世紀に造られたものが残っているのはキログラム原器だけで、後は他の科学的な測定方法に変わりました。キログラム原器も、科学的な測定方法に変えようとする提案が行われました。今、実験室の天秤も昔の分銅を使った、(毎回の左上イラスト参照)竿のある天秤は無くなって、電子天秤です。分銅の代わりに電磁石で釣り合いをとります。電磁石に流れる電流の値で重さを測ります。プランク定数を使った方法を簡単に言うとこの方法です。家庭用の秤ではもっと簡単な圧力センサーを使ったものもありますが、電流を使った秤では、少しキログラム原器の精度に達しませんでした。

次に提案されたのが、アボガドロ定数を使った方法です。アボガドロ定数とは、炭素原子がアボガドロ定数個集まると、炭素の原子量と同じ12gになると言う法則です。重さを測る代わりに、原子の個数を数えれば1キログラムを決めることができます。原子の数を1キログラムも正確に数えることは不可能ですが、もしたいへん均一な成分の結晶の体積を正確に測ることができれば、原子の個数を数えるのと同じことになります。こうなると半導体の分野です。炭素ではなく、シリコンならたいへん純度の高い結晶ができます。その結晶を完全な球形に加工することも半導体の分野です。そこで日本のメーカーで半導体に使うシリコンで完全な球を作り、重さを測るのではなく、直径から体積を計算すれば、球を作っている原子の数が決まります。後はアボガドロ定数から質量を計算できます。完全な球を作れば直径から体積が求められます。今、メートルの測定はキログラムより正確にできるようになっています。

映画「1001グラム計り知れない愛のこと」では、始まるとすぐに科学者達の討論でキログラム原器は時代遅れで、日本などがアボガドロ定数を使った方法を作ったと言う話で、ホワイトボードにSiシリコンの元素記号が書かれます。パリにキログラム原器を定期校正に持って来た各国代表が、金庫に大切に保管されたキログラム原器に続いて、シリコンの球体を見学するシーンが出てきます。監督はかなり正確な科学描写をしています。

他のメートル法の単位から取り残されて残ったキログラム原器ですが、いろいろ考えさせられる事がありそうです。キログラム原器の輸送は結構茶化して描いています。もちろん本物の輸送容器は鋼鉄製で手で持てません。キログラム原器の説明で終わってしまいましたが、映画のほうは、ネタばれを避けてこのへんにします。後は映画は映画館で見てください。【分類:化学】

[ 2016/01/25 ] 『黒姫高原理科教室』 NO102 映画1001グラム

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NO103. ドクトルジバゴ

黒姫高原日記のほうに窓ガラスに付いた霜の画像が載っています。寒冷地では珍しくありませんが、窓の内側の結露が凍ったり、白く一面に霜がついたりして、雪の結晶を拡大したような60度や120度に枝分かれしたきれいな結晶に育つのは、気温以外に風や窓の内側の温度などの条件があるようです。

窓ガラスに張り付いた霜の結晶と、窓を通して映る極寒の雪景色で映画好きならすぐ思い浮かぶのは、ドクトルジバゴでしょう。封切りから50年も経ちます。ソビエトの小説を映画化したものです。その最初のほうのシーンで、室内に楽器のバラライカが置いてあるのでロシアの田舎と分かります。窓には霜の結晶が覆っていて、その隙間から吹雪の荒野が映ります。観客はこのシーンで、これから始まるこの話はすごく寒い土地が舞台だということと、登場人物たちはこの寒さも平気で外を歩いていると分かります。

黒姫高原の住人にはこの程度の寒さは慣れていますが、多くの観客にとっては、すごく寒い土地と言う印象でしょう。話を窓の霜に戻します。

空気中の水分が凍ると、雪や霜のきれいな結晶ができます。水中で水が凍ってできる氷とは形が違います。液体と固体(結晶)の違いは分子の並び方です。液体の場合、分子が熱運動していて、ある体積の中には、隙間のあるバラバラな状態で分子が居ます。温度を上げると分子の運動が盛んになって体積が膨張します。冷えて固体になると言うことは、この分子が規則正しく並んで、動かなくなるのです。金属が良い例です。金属は分子ではなく原子が液体ではバラバラに動いています。冷えると原子は規則正しく並んで結晶になります。隙間なく詰まるので液体のときより体積が減ります。溶けていた金属が固まると、表面がへこむのです。金属以外でも、ろうそくのパラフィンの分子でも同じことが起こります。溶けていたロウが固まると表面がへこみます。これらは容器に球を詰めた場合に相当し、球形の分子や原子の玉を隙間なく詰めた場合です。

ところが水の分子は、ご承知のようにH2Oです。丸い酸素の分子の両側に少し小さな水素の球が2個付いています。2個の水素の球は一直線ではなく偏って付いていて、ちょうど“へ”の字のような形です。液体の水の分子はこの”へ”の字の分子が詰まっているのです。丸い分子なら冷えるにつれ、隙間が減って密度が大きくなります。ところが水の分子はいびつなので詰めたところが隙間が多いのです。そのため変な挙動がおきて凍る直前の0℃よりも4℃の方が隙間が少なくなって、一番密度が大きくなります。

水の分子 H2O ( H-O-Hと書いた方が分かりやすいです )は真ん中の酸素が電気的にマイナス、両端の水素がプラスの性質があります。ちなみに水の分子が電気的にプラスとマイナスの部分があるので、これにプラスやマイナスの電荷を持った他のイオンがひきつけられます。水中で食塩が溶けて陰イオン、陽イオンに分かれるのは水の分子にプラスとマイナスの部分があるからです。水の分子同士も、お互いのプラスとマイナスが引き合います。隣り合った水の分子の酸素のマイナスと隣の分子の水素のプラスが引きあって結合します。

“へ”の形の分子が6個 輪になってつながって6角形を作り、この6角形がたくさんつながったものが氷の結晶です。(このあたりは、化学式を書かない方針のため、かなり比ゆ的な表現です)球をぎっしり詰めた金属の結晶と違って、氷の結晶は隙間が多くて水より密度が低いので水に浮かぶのです。これも水の分子が”へ”の字の形だからです。

金平糖というお菓子があります。鍋で核になる砂糖の結晶に砂糖水をかけていくと角ができてきます。さらに砂糖水をかけると角の部分が成長します。空中で結晶が成長するときは出っ張った部分の方が早く成長します。氷の結晶も6角形の角の部分が成長が早く、雪の6角形の結晶の形ができます。窓ガラスにできる霜も、水ではなく、空中の水分が直接ガラスの表面で凍って出来た結晶です。初めは6個の水の分子の6角形が核になって、角の部分が成長して、60度や120度の枝状に広がったのです。

また映画に戻ります。日本映画で雪が登場する時、場所によって寒さの様子に約束事があります。金沢が舞台のゼロの焦点などの場合は、鍋料理で象徴されるような湯気のある温かさです。北海道が舞台なら、外はしばれる寒さでも室内は暖房がきいている、日本海側の海岸なら家の中も隙間風で寒い、といった具合です。事実金沢は雪が積もっても、水分の多い雪で、気温は氷と水の平衡温度の0℃以下には下がりません。サラサラ雪の北海道は氷点下に下がります。黒姫高原の住人は、雪が降っている時より、晴れた朝の方が気温がマイナス10℃以下の2桁になることを経験しています。雪の降る時の方が断熱効果があり、気温より豪雪の量の方がしんどいのです。

ところが、ドクトルジバゴでは、モスクワが舞台のときは、普通の雪国ですが、ジバゴとララがしばらく過すウラル山脈を越えたシベリアの別荘では、景色は真っ白ですが、雪も降らず、氷の世界です。それがかえって、ロシア人はすごい寒い土地にも暮らしていると言う印象を与えます。吐く息も白くはないのが、平気で暮らしているように感じ、モスクワよりもっと寒いシベリアに舞台は移ったという気がします。

ドクトルジバゴの映画はヌーベルバークと言われるヨーロッパ映画より後の1965年の作品ですが、当時のニューシネマの作品には入れられていません。たいへん上映時間の長い作品です。途中でインターミッションがありトイレ休憩できます。DVDも2枚に分かれています。監督のデビットリーンさんはイギリス人ですが、映画はアメリカ映画です。イギリス映画は、ロシアを扱うと、単純に反共的になりがちですが、この映画は反共映画ではありません。このあたりは、微妙な時代に青春を送った我々世代には、もう少し後で作られた名作、ジュリア同様 心地よい作品です。

後になってこの映画のロケがロシアではないことを知りました。当時の反体制側の小説が題材ですからロケは当然できなかったのでしょう。カナダでロケですが、氷の別荘のシーンは何とスペインで、雪でなく大理石の粉だそうです。凍りついた世界、氷の室内であるのに、登場人物が寒そうではないのはそのためでした。これが、極寒に暮らしているのに、寒そうではないという、辛さを見せない、良い効果を出していたのです。【分類:化学】

[ 2016/01/26 ] 『黒姫高原理科教室』 NO103. ドクトルジバゴ

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NO104. 水道管凍結

理科教室を名乗りながらつい映画に脱線しています。映画、寅さんのタコ社長の会社は何の商売か覚えていますか。街の印刷会社です。登場する印刷機も時代により変化してきますが、最初の頃の寅さんではサクラの旦那が棚から活字を拾って枠に組んでいる風景がよく出てきます。ひろしさんの印刷インクに汚れた姿と、寅さんの呼ぶ労働者諸君の言葉がよく合います。

活字を並べ活版を作り印刷するのは、若い人には分からないかもしれません。活字と言う物を見たことが無いでしょう。活字離れとか、活字中毒と検索すると、新聞や書籍の代名詞で活字そのものの事ではありません。本当に活字を知らない人も居る様なので、活字とはひとつの文字を鉛などの合金で鋳造したハンコのようなものです。社会科で、ルネサンスの3大発明を習います。火薬と羅針盤とグーテンベルグの活版印刷です。授業では活版印刷によって、それまで写本しかなかった聖書が大量に出回るようになったなどと教わりました。

グーテンベルグ以前にも木版による印刷は在った様です。日本ではかわら版の時代まで木版画です。それまでの印刷と活版印刷とはどこが違ったのでしょう。というより活版印刷とは何かよくわからないでしょう。文字1個にひとつの活字、アルファベットならその数だけ活字を大量に作り、その活字を原稿どうり並べたものを活版と言います。1ページ分の活版にインクをつけ紙に印刷するのが活版印刷です。印刷の分類で行けば凸版印刷です。今でも名刺などはこの活版で印刷しているようです。新聞など大量に印刷するときはこの活版に厚紙を押し付けて型を取り、そこに別の活字合金を流して固めた鉛版を使い、活版の活字はばらして元の棚に戻します。鉛合金は融点が低いので紙の型が使えるのです。活版印刷はグーテンベルグ以来、タコ社長に至るまで続いています。グーテンベルグはその活字を発明したのです。詳しく言えば活字を作る活字合金を発明したのです。どこがすごいのでしょうか。

金属を溶かして型に入れ、活字を作る時には、金属が比較的低い温度で溶けなければ使えません。また固まった活字は印刷で擦り減らない堅さが必要です。実はそれ以上に重要な条件があります。活字は溶けやすい鉛の合金で作ります。鉛を使った合金にハンダがあります。最近はハンダを使った工作はあまり世の中でやらないようですが、アマチュア無線家などは普段でも使っています。鉛が環境汚染物質になりRoHS規制で禁止になったので鉛を使わないハンダに変わってきています。そのハンダを使ったことのある方は、ハンダを電気コテで溶かし冷えて固まる時、体積が減るのを感じたでしょう。溶けたろうそくのロウが固まると、体積が減って、へこみます。

実は多くの物質が液体から固体に変わると体積が減るのです。鉛やスズ、亜鉛などの溶けやすい金属を型に入れて固めるとき、溶けた金属の液体は型の隅々まで行きわたりますが、固化すると体積が減るので、細かな部分に隙間ができてしまいます。活字などの型どりをすると、細かな文字を再現できません。最初の型は削ったりして作りますが、大量に同じ文字の活字を作るには鋳型で固める方法でなければできません。

アンチモンという金属があります。最近はレアメタルと呼ばれ、半導体の製造に使われていますが、比較的融点が低く古くから知られていた金属です。この金属は他の金属と大きく違う性質があります。鉛は工作用や重り用に板状のものがホームセンターで売っています。これをハサミで切ってステンレスの器に入れガスコンロで溶かすことができます。鉛の蒸気が出て有害なので最近はよい子はまねしないでと言われそうです。固体の鉛は徐々に溶け、溶けていない鉛は溶けた鉛の液体中に沈んでいきます。洋ろうそくを溶かしても同じです。同じ実験をアンチモンの金属で行うと、アンチモンの金属は溶けたアンチモンに浮かぶのです。アンチモンは、溶けた時より固体の方が体積が大きくなり軽くなる性質があるのです。鉛は他の金属同様固まると体積が減りますが、ちょうどよい割合でアンチモンを混ぜた合金にすると両方の性質の中間で、固まっても体積が変わらなくなります。これがグーテンベルグの発明した活字合金なのです。型に入れて固めても体積変化がないので、細かな部分まで正確な活字ができるようになったのです。アルファベットの同じ文字の形が、本のどの部分でも全く同じなのは、正確に同じ活字が大量にできるようになったからです。

このように、自然界では液体より固体の方が結晶が密になって重いのが普通なのです。固体の方が軽いアンチモンは稀な性質です。稀な性質の液体がまだあります。こんな実験なら鉛と違ってすぐにできるでしょう。水道の水をガラス瓶に入れて、念のためプラスチックの袋に入れて、フリーザーで凍らせてください。比較のため、水を含まない液体としてオリーブ油でもやってください。結果は水の方はガラスにひびが入るはずです。氷が水に浮くのはよく知られたことです。水が凍り氷になると体積が増え、軽くなります。ありふれた水は、液体としては変わった性質なのです。

年明けからの全国的な寒波で、各地で水道管の凍結による断水が起きています。長野県では水道管の凍結は常識ですが、温かい地方ではたいへんな状況の様子です。氷点下になっても水が凍らないように、過冷却の水は0℃以下でも凍らないので、水道水を出しっぱなしにしておく方法もありますが、これも寒ければ凍ります。この方法では排水口に流れた水まで凍ってしまい、水道だけでなく、排水管も使えなくなるリスクがあります。配管や水栓が凍るだけなら、溶けるのを待てばいいのですが、配管中の水道水が凍ると体積が増え、管に亀裂ができます。温度が上がり氷が解けるといたるところで水漏れどころか噴水になります。このため水道水の給水を止めることになったのです。

長野県にある友人の別荘では、冬の間、無人にするときは屋外の配管や、浄化槽などに付けた凍結防止ヒーターに電源を入れ、0℃以下にならないように加熱します。もちろん電気代がかかります。これを怠ると春になってから噴水が家じゅうで起きます。

電気ヒーターを使わないで凍結を防ぐ方法もあります。水道管から水道水を抜いて空にしておく方法です。地面の中は地表から場所によって差がありますが30センチ程度下がると地表の熱が伝わらず凍りません。水道の地中の配管はこの深度以下に埋めることになっています。この不凍深度以下に埋めた配管から屋内の水栓に立ち上げる配管の根元に、水抜き栓が長野ではあります。洗面所の水道の水栓とは別に、水抜き栓が横にあります。このハンドルは地中に埋まった水抜き栓までつながっていて、これを回すと、水抜き栓より先の地上部分の配管内の水道水が抜けます。洗面所の水抜き栓を開け、蛇口を開くと、蛇口から空気が吸い込まれ、管内の水は地中に抜けます。冬季に家を空ける時はこれを家じゅうで行います。トイレのタンクも、ボイラーも空にしておきます。

トイレのフラッシュバルブもしっかり水抜きします。フラッシュバルブなどは樹脂製の部品があり、水が残っていると凍って割れてしまいます。【分類:水道】

[ 2016/02/05 ]  『黒姫高原理科教室』 NO104. 水道管凍結

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NO105. 狂気と創造性

先日の温かさで、屋根雪が全部滑り落ちました。おかげで大屋根の軒下は巨大な雪山が家の南側、北側両方にできました。昨年も小さくなった雪山の残りが消えたのは4月です。ところで積もった雪の色は普通に白いのですが、雪が押しつぶされたできた塊の色が晴れた時に見ると、白ではなく薄い青色をしています。ちょうど氷山や氷河の画像を見ると、氷が白ではなく薄い青色をしているのと同じ感じです。金沢ではこんな色は経験していないので、黒姫高原の明け方の気温低下で圧雪された積雪が氷になったのと関係あるのでしょうか。

高校時代に読んだ本に「狂気と創造性」ラドウンスカヤ(ソビエト)著があります。題名から想像するのとはかなり異なった内容です。題名に騙され買ったのですが、物理学の入門書です。光の話から始まって、レーザーの原理が研究された経過などを描きながら、科学的発想の紹介です。

本の中で空はなぜ青いと言う話があります。空が青い理由は今では物理の散乱の原理で説明できる定説です。ところがいまだにネットでは空の色が青い理由を、空中の細かな塵で太陽の光が散乱してなどの解説がもっともらしく載っています。青いのは酸素の分子の色ですとか、逆に光の波長に比べて酸素や窒素の分子は十分に小さく、これらの分子で太陽の可視光線は散乱しないとか、一見もっともらしい諸説のブログがあふれています。

おそらく聞きかじりの知識を、さらにブログに掲載するため自己流でかみ砕いたため、よけい内容がおかしくなったのでしょう。さらにそのブログを引用した別のブログがまた自己流に解説というような間違いの連鎖です。決して知ったかぶりではないのでしょうが、きっと中学、高校で教師が受験勉強に熱心で、科学的な考え方をあまり教えなかったのでしょう。教師も知らないのかも。

太陽の光のうち可視光線は、赤色からオレンジ、黄、グリーン、青、紫という虹のスペクトルに分かれます。このうち赤が一番波長が長く、紫が短いです。空中にはこうした光の波長程度の細かな塵が漂っていて、波長の短い光の方が長い光より塵の粒子にぶつかって、散乱しやすいので、空には青い光が散乱していると思われていました。空気を作っている酸素と窒素の分子は透明です。また光の波長に比べて、これらの分子は100倍以上小さいので光がぶつかって散乱することはないと思われていました。この説明では塵の少ない場所の空はあまり青くないことになります。「狂気と創造性」の著者は、ありふれた空はなぜ青い、夕焼けはなぜ赤いと言った一見簡単そうな疑問、宇宙には端があるかといった疑問よりは簡単そうです、に答えを出しながら原子物理の世界に導いていきます。

物理学で散乱というとラザフォードの有名な散乱実験があります。当時まだ原子核の研究があまり進んでいなかった頃、原子の中心に原子核があることが分かっていませんでした。原子とはボヤーっとした小さな雲のような固まりを想像していました。原子に光ではなく波長の短いα線という波を当てると、光の場合同様α線は原子に当たって進行方向に広がった散乱をすると予想して実験をしたところ、結果は意外なものでした。α線の一部は跳ね返ってきました。そこで原子の中心には核があることが分かりました。さらに実験を進めると、原子のサイズでも光が当たると散乱が起こるのが分かりました。

空の色が青いのは空中に浮遊する微粒子によって太陽の光が散乱するからではありません。空気を作っている酸素や窒素の分子で光が散乱するからです。実験の結果、光の波長より100倍以上小さな酸素や窒素の分子でも、光の散乱が起きます。光の中でも波長の短い青い光の方が、波長の長い赤い光より散乱しやすいのです。今、地上から太陽のある上の方向の空を見ています。空中を通り抜けてくる太陽の光は、赤や黄色の光はまっすぐ進みますが、青い光は酸素や窒素の分子に当たって散乱し、少し横にそれます。そのため地上から見ると太陽は黄色く見え、空は散乱した青い光で青く見えます。

太陽の光が雲を通過すると、やはり雲の中の水滴で散乱します。この水滴は光の波長にくらべ大きいので、青い光も赤い光も全部散乱します。全部の光を散乱するので雲は白く見えます。自動車学校で、霧の中を車で走行するときはヘッドライトをビームにしないように教わりました。黒姫高原特有の霧の中ではビームにすると散乱光で全体が白く光り、視界が悪いです。

地球を取り巻く空気の層の厚さは以外と薄いのです。昼間の太陽はこの空気の層を上から通過しますが、夕焼けは横から通過します。空気の層を通る距離が長いので青い光は最初に散乱して除かれ、残った赤い光だけが通過するので空が赤いのです。

光の波長より十分大きな粒子、ばい煙などでは、散乱した光は途中で粒子に吸収され空は暗くなります。水滴や氷の細かな結晶での光の散乱も同じように、光学的散乱で、鏡の反射と同じ仕組みです。ところが分子で光が散乱する仕組みは、少し異なります。光が酸素の分子で跳ね返るわけではありません。「狂気と創造性」では、空はなぜ青いから話が始まって、原子の話に進んでいきます。酸素の分子にぶつかった光は、いったん酸素分子にエネルギーとなって吸収されます。吸収したエネルギーは再び光として分子から放出されます。この時、最初の光がはいってきた方向でなく全体に放出されるのです。これが原子レベルの散乱です。空中には酸素や窒素の分子以外に二酸化炭素の分子もあります。二酸化炭素の分子に、可視光線でなく赤外線が当たると、同じようにエネルギーとして分子内に吸収されます。ところがこのエネルギーはまた光として放出されず、熱になります。これが温室効果ガスと呼ばれるものです。

二酸化炭素が赤外線のエネルギーを熱に変える仕組みで、地球の温暖化が進むのですが、この原理と同じものが実験室でも使われています。二酸化炭素が赤外線を熱に変えるのなら、赤外線のエネルギーを一定にしておけば、二酸化炭素の濃度が高いほど温度が上がるわけです。この理屈で二酸化炭素の濃度を測定できるのです。非分散赤外炭酸ガス濃度計という難しい名称の測定機ですが片手で持てるサイズです。一定の強さの赤外線が当たっている容器内に濃度を測りたい二酸化炭素を含む空気を通し、温度変化を測れば二酸化炭素の濃度が測定できます。こうして温室効果の原因になる、空気中の二酸化炭素の濃度を、温室効果を利用して測定しています。

ところで、冒頭に戻って、氷の色が青いのはなぜでしょう。空が青いのと同様に、同じ青色なので光の散乱でしょうか。塵の少ないはずの南極の氷山が青いので、水や氷に含まれる塵による散乱ではないはずです。散乱だとすれば、空が青いのと同様に水の分子による散乱でしょうか。水や氷は無色、透明に決まっているでしょうか。

 

空が青いのは、地球規模での距離を進んでくる光の散乱です。数メーター程度の長さの容器に入れた空気はもちろん無色です。散乱により青くなるには相当の距離を通過する必要があります。水はどうでしょうか。プールの水を青く感じませんか。空の青が映っているからでもなく、プールの底のペンキが青いからでもありません。コップの水程度では全く分かりませんが、水や氷はわずかに青いのです。これも先ほどの分子が光のエネルギーを吸収する原理で説明できます。物に色がついて見える原因は、特定の波長の光をその物質が吸収するからです。透明なガラスに、青い色を吸収する成分を混ぜると、ガラスを通過した光は青い成分が吸収されて、青の補色の赤い色に見えます。液体でも同じです。赤い色の光を吸収する分子を溶かした水は、光を当てると赤の補色の青色になります。この赤い光を強力に吸収する性質の分子が青の染料です。水の分子も、たいへんわずかですが赤い光を吸収します。そのため水はわずかに青いのです。わずかに青い程度ですからコップの水では分かりません。一方、雪は含まれる空気の層が光を散乱して白色です。その白い色がバックになると、水の青さが目立ちます。プールでも、白くペンキを塗ったプールは水が青く感じるはずです。【分類:化学】

[ 2016/02/20 ]  『黒姫高原理科教室』 NO105. 狂気と創造性

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NO106. アントン カラス

北しなの線で黒姫から長野市にいく途中で、電車の窓から景色を眺めていると、「川の色が黒姫高原では茶色いのにこのあたりは緑なのはなぜ」と聞かれました。取りあえず、川底の色のせいでしょう、この辺は凝灰岩だからと返事。青っぽい岩石なら凝灰岩と言っておけば多分あたりです。

前回、水の色はわずかに青色がついている話をしました。氷山や氷河、きれいな海や河川、湖やプールは青いのです。空が青いのは青い光が散乱して広がるからで、残った直進する太陽の光は赤や黄色い光です。一方水を通過する光は、赤い色が水の分子に吸収されるので、青くなります。海の色が青いのは、海水を通り抜ける光が青いのです。海の底から見る太陽は青い光のはずです。上から見て海が青いのはその光が反射しているからです。海や河川は水の色以外に、藻が繁殖して緑色になったり、鉱物が溶けて青以外のいろいろな色がつきます。

学校などの水泳プールでは、気温と日照の条件によっては、藻が繁殖してグリーンや時にはピンクに色がつくことがあります。プール管理の教科書では、配管などから金属イオンが溶けだすと、金属イオン固有の色がつくと書いたものがあります。しかし水の分子の色が普通は分からないのと同様、金属イオンが原因で水の色を感じる時は鉱毒汚染程度の高い濃度ですから、普通はありません。それより水の色の原因になるのは景色の映りです。ブログにも、海が青いのは空の色が映ったからと説明したものがありました。実際学校のプールでは、いろいろの報告が上がっています。春先の気温上昇でヘマトコッカスという藻類が異常繁殖して朝になったらプールがピンクになっていたとか、ユーグリナが繁殖してグリーンになっていた報告を聞いて、うちのプールも緑だ、青いと言う報告が増えますが、プールの横の樹木の影が映ったり、空の色が映ったのを勘違いしたようでした。

さて冒頭の川の色がグリーンなのはなぜに戻ります。川の色の原因はいろいろあります。上流の山間部で山の木の色が映っていることはよくあります。ただし今は雪景色ですから違います。琵琶湖の下流の淀川と木津川の合流地点では、それぞれの川の色がしばらく混ざらずに流れています。石川県の手取川では昨年から、上流の崩壊によって中流、下流の濁度が上がっています。中流、下流では泥や生活排水、工場排水の影響でいろいろな色に着色がありますが、山間部を流れる上流部では河川水は澄んでいるはずです。鉱山のある場所などを流れる河川の上流部では、鉱物由来の金属イオンによる着色で川の水が銅イオンで青いとか考える方がいますが、金属イオンの色は1リットルの水にグラム単位で溶かさないと目で判断できません。その前に着色する1万倍程度の薄さで魚が死ぬので新聞に載ります。それでは川の色の原因は何でしょうか。

黒姫高原の地下には褐鉄鉱がいたるところにあります。ここから溶けだした鉄イオンによって鉄バクテリアがいたるところで繁殖しています。鉄バクテリアの色は、赤さび色です。河川の底だけでなく、用水路の側溝も鉄バクテリアが帯状に付着していて、どこもかも赤茶色です。この鉄バクテリアが水底に膜状にあるため、茶色く見えるのは黒姫高原の隣の戸隠の水芭蕉の湿地まで広がっています。こうした底質の付着物の色が河川の色に反映するのは割と緩やかな流れのせいで、急流の河川では水流で削られ、岩盤が川底に現れています。

山で珍しい鉱物を見つけた時、岩石ハンマーでかけらを割って断面を見ます。表面は時間がたって風化していて良くわからないからです。この時、割った断面、採集禁止の場合は直接石の表面を舐めてみます。岩石の色は乾いているとよくわからないので、水がない時は舐めるのが早いのです。それまで白っぽかった表面が、緑色がついて見えたりします。火山灰が堆積してできた凝灰岩も、火山灰だから灰色かと思っていると、以外と濡れると緑ががっていたりします。

緑色岩という呼び方をされる鉱物のグループがあります。緑色の鉱物が以外と多いのです。鉱物の色は陶磁器の色に発色原理が似ています。鉄を含んだ粘土を焼く時、酸素の少ない炎で焼くと鉄は還元鉄になって緑色の系統です。酸素の豊富な炎では酸化鉄の赤さび色です。鉱物はもっと複雑な色です。実験室で鉱物を溶かす時に、炭酸ナトリウムの結晶を加熱して溶かし、ガラス細工の温度よりもっと高温でないと溶けないので、ガスバーナーを陶器の筒で覆ったマッフル炉の中で、るつぼで溶かします、そこに溶かしたい鉱物を粉にして入れ溶かします。溶かしたい鉱物は炭酸ナトリウムと一緒に溶けます。これを冷やして固まってから酸で溶かすと、もとの鉱物は酸に溶けた状態になります。酸では直接溶けない鉱物を溶かす方法です。この時、固まった炭酸ナトリウムの色が、溶かした鉱物成分によって色がつきます。炭酸ナトリウムは無色です。鉄が含まれると茶色、銅が含まれると青といった具合です。

先ほどの火山灰の堆積してできた凝灰岩が地下で熱を受けると輝緑凝灰岩というものに変性します。濡れると薄い緑色です。翡翠のようなきれいなグリーンではないけど、緑色の鉱物はたくさんあります。長野県北部にはグリンタフと呼ばれる緑色岩の仲間からできた岩脈のベルトがあります。木曽川は花崗岩の岩盤が水に削られ現れていますが、戸隠の裾花川ではこのグリンタフの岩盤があるようです。先の北しなの線沿線の川の色は、水流で削られた川底に岩盤が現れたのでしょう。グリーンタフとか、緑色岩と言えばよいでしょうが、削られ方が柔らかそうな岩石なので、輝緑凝灰岩と言っておけばもっともらしそうです。

先ほど炭酸塩の実験の話に脱線しましたが、実験で使ったのは炭酸ナトリウム、炭酸ソーダです。岩盤を作っているのは同じ炭酸塩でも炭酸カルシウム、石灰石です。石灰は英語でライム(lime)です。英語ではかんきつ類のライムも石灰も同じスペルのライムです。しばらく理科教室らしい内容が続きましたがまた映画の話。ライムからすぐ思い浮かぶのはチャップリンの映画ライムライトです。似た映画 街の灯と間違わないように。ところでライムライトって何でしょう。辞書を引くと“照明を浴びる、脚光を浴びる”とありますが、もともとは照明器具の事です。日本語で言えば石灰燈です。実は似たようなものが今でも実験室で使われていますが、ガスバーナーの炎の先に石灰でできた筒をつけたものです。ガスバーナーの光はそれほど明るくないのですが、炎で石灰を焼くと、真っ赤を通りこして白く輝きます。大変明るい照明になります。登山される方は、同じ理屈のランプをご存じでしょう。

先日BSで映画 第三の男をやっていました。主人公役は、オーソンウエルズなのかアメリカ人作家の方か分かりませんが、オーソンウエルズの役がハリーライムです。スペルもlimeです。第三の男の解説は、淀長さんが映画の教科書というほどで、とても口を出すことはできませんが、この映画の影の主役が、チターでハリーライムのテーマを弾いているアントンカラスさんです。アントンカラスさんの生い立ちや、この映画のテーマ音楽を作曲、演奏したストーリーは映画と同じくらいの話になっています。若いころラジオドラマでやっていたのを覚えています。僕の話に登場するハンガリーの演奏家に、アントンカラスさんを知っているかと聞いたことがあります。やはり知っていました。ドイツ語でホイリゲンと呼ぶ居酒屋の演奏者仲間です。知り合いの演奏家はバイオリンですが、カラスさんはチターです。第三の男の影の主役はチターです。ウイキでは、チターは日本の琴に似た楽器で、爪で弾くと解説していますが、映画では、ばちで弾いています。知り合いの演奏家もばちで弾いていました。琴のような優雅な音楽ではなく、ハンガリー民謡のチャルダッシュの激しい踊りの音楽です。ハンガリーではチターではなく、ツインバロムと呼ぶとこれもウイキにありますが、知り合いはインスタントチエンバロと英語で言っていました。似たような名前の楽器がたくさんあります。みんな元は同じギリシア神話に出てくる竪琴のような古楽器でしょう。

似た名前と言えば、カラスという名前には有名な歌手マリアカラスさんがいます。カラスという名前にインパクトがあるからでしょう、よけい気になります。マリアカラスさんはギリシア人で、アントンカラスさんはハンガリー人ですから、偶然の一致です。

ブログの中には、アントンカラスさんは、結局スラブ人固有の暗さで、映画音楽で大成功後も結局ウイーンから出ることはなかったと言う方がいますが、ハンガリーはスラブではなくマジャール人です。モンゴロイドです。マリアカラスさんのようなラテン系ではやはりありませんでした。【分類:化学】

[ 2016/02/20 ]  『黒姫高原理科教室』 NO106. アントン カラス

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NO107. 田切

中央道の伊那谷付近を通るたびに、田切川という名称の標識が気になっていました。駒ケ岳SA前後に中田切川、太田切川、といった似た名称の看板が出ているので、これを見つけると、さて次のサービスエリアで休むかと思う具合です。田を切ると言う名称が、地形的なイメージを連想する名称です。木曽駒ケ岳に行く登山バスの出発場所の駒ケ根市の物産館付近から、すぐ横を流れている太田切川の河原に降りることができます。吊り橋がかかっていて、1級河川です。河原は花崗岩の岩盤と上流から流れてきた花崗岩の両方がありました。花崗岩が岩盤なので、水はたいへん澄んでいます。この田切川の名称の由来が何か気になっていました。河原がたいへん広い割に、普段の水量は真ん中だけを流れています。大雨の時は河原いっぱいに流れ、花崗岩を上流から運んでくるほどすごい水量でしょう。

南信を南北方向に並んで、木曽谷と伊那谷があります。木曽川流域の木曽谷に沿って、中央西線、天竜川の伊那谷には飯田線が走っています。名古屋から長野に行く中央西線は今では、駅スパートで検索すると、名古屋 長野市間は東京経由の新幹線がヒットするように成ってしまいましたが、特急列車が走っている路線です。一方の飯田線はローカル線の代表的存在です。秘境駅に取り上げられる駅舎もあります。遅いはずです、線路がまっすぐ通っていません。以前、テレビ番組の探偵ナイトスクープだったかで、「駅で列車を降りて、走って追いかけ次の駅で乗ることができます。」という内容をやっていました。

飯田線は伊那谷を蛇行して走っているので、ちょうどΩの文字の形に線路が成っている所で、オームの文字の付け根の両側に駅があり、その間を走ってつなげば、線路を進む列車より早く次の駅に着けると言うことです。実際、番組では、走って列車を追っかけ間に合った様です。都会でもたまに駅のホームが湾曲して電車が少し曲がったまま停車することがありますが、飯田線ではこのΩの字の頭の部分にある駅では、ホームの湾曲がすごく、ホームから線路が見通せないほどカーブしています。

なぜ飯田線が天竜川に沿って真っすぐに進まず、蛇行しているのでしょう。地図で木曽川、天竜川を比べるとよくわかります。木曽谷はV字谷です。花崗岩の岩盤をV字にえぐった急流です。中央線はこの渓谷沿いに線路が在ります。一方天竜川は広い河原が在ります。伊那谷は信濃の歌に出てくる4つの平のひとつです。さらに天竜川には西の木曽駒ケ岳などから幾つかの1級河川が流れ込んでいます。そのため、飯田線は、天竜川沿いに進むことができず、中央アルプスからの河川が天竜川に注ぐ所では、流入する河川を遡って迂回し、鉄橋を渡り、また天竜川への流入個所に戻ってくるという蛇行した線路になります。鉄道は坂を登れないので、同じ標高を維持してレールを敷くと、こうした蛇行した線路になります。

こうした川沿いのカーブの個所は鉄道写真マニアが撮影に集まる場所です。逆に蛇行の必要のない高速道路は、伊那谷ではアップダウンが結構あります。鉄道は標高を維持して線路を敷くので蛇行しますが、高速道路はカーブが少なくなるよう建設するので天竜川に沿って伊那谷を南北に進むとアップダウンの激しい道路になります。

地学で、川岸段丘と似た地形に田切地形があります。長野県はこうした地形の箱庭です。伊那谷は天竜川が川岸段丘、田切川が田切地形として教科書に載っていました。(伊那谷は最近は川岸段丘でなく断層のようです)田切という語源は、田んぼを切り裂く急な流れではなく、煮えたぎるの“たぎる”や、滝の“たき”から来ているようです。急な水の流れのことです。

川岸段丘が、河川の浸食によってできた平らな土地が隆起して、河川の標高が上がった為、また浸食で谷ができる、浸食と土地の隆起が繰り返しできた段々の谷に対して、田切地形は、いったん河川によってできた扇状地などの堆積した土地が、山から急流が流れ、深く浸食された地形です。特徴は河川の両側の切り立った崖です。扇状地を山から西から東に流れて来て、扇状地の裾を南北に流れる天竜川に直角に注ぐ河川、田切川が深い谷になっています。そのため、天竜川に沿って北上する飯田線の線路は、田切川が天竜川に流入する扇状地ではそのままでは谷が深くて田切川を渡れないので、田切川の上流まで数100メートルも遡った所で鉄橋で渡り、また田切川沿いに天竜川まで戻るので、Ω字の形に線路が敷かれるのです。こうした田切川が幾つか在るので、伊那谷を走る飯田線は蛇行しているのです。

伊那谷では、“たぎる”急な川の流れが扇状地を削って深い谷にしていますが、信濃の歌のもう一つの平、佐久の平では、火山灰の堆積台を削っています。佐久の上田盆地は浅間山などの火山灰の堆積した台地に千曲川が作った川岸段丘です。ここにも田切地形があります。扇状地のような礫ではなく、堆積しているのは火山灰です。火山灰台地を急流が浸食して谷を作った田切地形です。ここの谷は伊那谷と違って、深い谷ではなく、広い谷です。扇状地と違って、火山灰の堆積した土地を急流が押し流し、火山灰は柔らかいので一気に流され、広い平らな谷ができます。このように、川岸段丘や断層といった一般名ではなく、田切という名称がそのまま河川や土地の名称になっているのが面白いです。

黒姫高原周辺で田切という地名を探してみます。さっそく隣の妙高に太田切川があります。伊那谷の太田切川と同じ名前です。地名にも田切があります。グーグルで見ると、妙高から東に流れる太田切川が深い谷になって関川に注いでいます。その場所の地名が田切です。こちらは伊那谷と同じタイプの田切地形です。結構田切という漢字を使った地名が各地にあるようです。【分類:鉱物】

[ 2016/03/08 ]  『黒姫高原理科教室』 NO107. 田切

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NO108. 根開き

黒姫高原のあちこちで、急速に雪解けです。家の周りでも樹木の根の周りの雪が溶け、丸い穴ができています。このあたりで“根開き”と呼んでいる春の兆しです。この時期、北しなの線に乗って長野に行く時に車窓の景色には山の傾斜地がすぐ近くに見えます。白い雪景色に樹木の根元が一斉に黒い土が現れ、丸い穴になっています。山小屋の周りでも、一番の積雪時期を過ぎると、朝方はまだマイナス2桁台ですが、斜面の木の根元には根開きができ始め、樹木の根周りだけは土が見えてきます。

朝方の外気温がマイナス1桁台になる頃には、家の周りの樹木の根元にも根開きができます。周りの積雪はまだ30センチ以上あるので深いくぼみになって地面が見えてきます。樹木の根もとの雪はなぜ早く溶けるのでしょうか。春になると植物の活性が出てきて地面から水を吸い上げ、生命活動で動物と同じように体温が上がるからだと言う説明があります。植物に体温があるとは考えられませんが、春が近づくと出来る、と言うことと、植物の活性という説明は一見本当らしくもあります。

この時期、木の芽はわずかに成長を始めています。少し緑色がついてきます。地面に積もった雪と、溶けて地面が露出した部分の境界では、水仙の芽が雪の下ですでに伸びています。0℃付近でも植物の成長は進んでいます。ブログ等で植物の活性エネルギーが雪を溶かすと言う説明では、植物そのものの発熱で溶かすのはさすがに無理なようで、植物が水を吸い上げるので、地下の温かい水を吸い上げ根元の土壌や、木の温度が上がると言う説明があります。もっともらしいですが、落葉した樹木はこの時期、それほど水を吸い上げるでしょうか。

根開きの原因を考えるには、まず観察です。理科は観察と実験です。ブログを見ると、いろいろな説があります。樹木が地下の0℃より水温の高い水を吸い上げることで温度が上がる説、樹木の表皮に当たった光で温度が上がる説、中には木の根元には最初から雪が溜まらない説もあります。しかし一番多いのは、雪国や雪山で樹木の根の周りに丸い穴が空いた景色がきれいだと言う画像です。根開きができ始めるのは真冬でも在るのか、雪解け時期にできるのか等、色んな説があります。

山小屋の周りで観察をします。除雪車で雪を積み上げた個所は今でも1メートルほどの積雪量です。そこに埋められた樹木の周りはそのまま積雪が残っています。一方自然の積雪のままの場所では、斜面も、平坦な場所も今は積雪は30センチほどですが、根開きは樹木の直径の倍ほどに成り、地面が見えています。傾斜地でも吹きだまりになった個所は積雪が腰まであり、そこでは根開きはできていません。平坦な場所では、2月の寒い時にも、根の周りにはすでに穴ができていて、根元から1センチほど大きな穴になった地面が見えていました。春の芽ぶきとは関係なさそうです。真冬にリスが雪面を走っているのが見えますが、リスの体が木に登る前に一度見えなくなることがあります。根開きの穴に隠れて見えなくなったのです。そういえば秋によく木の実を樹木の根元に埋めていました。

根開きを観察すると、どの根開きもきれいな丸い形です。南側だけ成長しているということはありません。また樹木の根元の直径に比例した穴の直径で、太さが似た樹木なら積雪量が同じ場所ではどれも同じサイズの穴です。日当たりにあまり関係ないようです。山小屋の周りには落葉した広葉樹以外に、冬も葉のある檜が育っていますが、根元の根開きのサイズは他の広葉樹と同じです。根開きができる前は葉の無い広葉樹と同じように根元には雪が積もりました。真冬に降雪の無い日が続くと、根元と積雪の間に隙間ができてきます。最初は1センチの幅もない隙間ですが、次第に深くなり、30センチ下の地面まで達する頃には穴も太くなっています。横から見た穴の断面を想像するといわゆるすり鉢状に傾斜した斜面です。根開きの穴の上の直径が樹木の直径の倍ほどになった頃には地面が見えてきます。と言う様にかなり幾何学的な形なのです。

雪や氷と違って、地面や樹木のような柔らかなものは冷たくない印象があります。正しいかどうかは温度を測らなくても実証はできます。雪が溶けた水が溜まってできた水たまりがあります。水たまりの底はまだ氷に成っています。近くでは屋根のつららが溶けかかって水滴が落ちています。この時期、気温はわずかに0℃を上回り、地表はまだ0℃以下なのでしょう。液体の水と氷が共存する温度です。理科で習ったように、水と氷が共存する時は、温度は0℃のままで、熱エネルギーは氷を溶かすのに使われます。またこのあたりの不凍深度は30センチ以上なので、地面は凍っています。地熱説も違うようです。

水平展開をしてみます。山荘の周りの樹木には、枯れた木もそのまま残っています。根開き穴は枯れた木にも空いています。落葉した木は枯れていても区別しにくいですが、何年も枯れたまま立っている木も同じように穴ができています。太さ1センチ程度の若木にも根開きはできています。ただし幹の直径の倍程度ということで、積雪の30センチある場所では1センチの幹の周りに5ミリほど空間ができた程度です。

道路沿いの電柱は、除雪車に雪をかけられ埋まっていますが、穴はありません、少し離れた所の電柱には根開きの穴が空いています。極めつけは山荘の土台のコンクリート。根開きと同じように、壁に沿って雪が解け斜面に成り、土台の横の地面が現れています。

どうやら見えて来ませんか?。根開きができるのは踏み固められていない積雪。積もったままの雪と圧雪した所ではどちらが早く溶けるでしょうか。うちの奥さんは田舎育ちで分かっている様ですが、降った雪の上を歩くと、いったんは体積が減りますが、溶けにくくなります。一度溶けて氷になった雪はもっと溶けません。凍った雪は地面に接した底から溶けていきます。山の残雪の溶け方です。ふわふわの雪は氷と違ってほとんど空気です。空中の熱によって雪の結晶が溶けます。教科書に出てくる雪の結晶は稀で、ほとんどが溶け始めた結晶です。積もった雪は、地面に接した底から溶けるのではありません。積雪の表面から水蒸気になって蒸発していくのでもありません。全体に積雪のカサが減っていきます。この時期積み上げた雪山が毎日低くなっていくのを観察すれば、全体が小さくなっていくのが分かります。

積もった白い雪の表面は光だけでなく赤外線も反射するので、溶けにくいはずです。樹木でなくても、雪以外ものに物に接した部分では気温が上がったり、日照によって溶けやすくなります。いったん溶け始めると、表面積が増え、熱を吸収しやすくなります。溶けた水は雪の隙間の空間を伝って落ち、下の雪を溶かします。こうして雪の結晶がこわれ体積が減っていきます。 白い雪は熱を反射して溶けにくいが、いったん溶けると溶けた水が周りの雪の結晶を溶かし、雪の表面から同じ速さでカサが減っていくので樹木の根の周りでは円形に溶ける。という仮説ができました。北陸の雪は降ってくる間にすでに溶け、積もった時にはシャーベット状で空気を含んでいないので、こうした溶け方をしません。【分類:水】

[ 2016/03/08 ]  『黒姫高原理科教室』 NO108. 根開き

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NO109. 積雪の溶け方

前回の雪面にできる根開きの話で、積雪の溶け方の話をしましたが、雪の溶け方についてもう少し考えてみたいと思いますが、例年にない雪解けの速さで、急がないとアップする前に雪が無くなりそうです。根開きはまだ穴が空いていますが、屋根雪の落ちた山は高さが半分になりました。黒姫高原スキー場は黒い地面があちこち見えています。山荘の周りはスキー場よりは雪がまだ残っています。積雪のあるうちに雪面に穴をあけたり、棒を立てて実験をしています。

黒姫駅で北しなの線を待っていると地元の人の会話が聞こえてきました。「今年の積雪は少なく、例年なら除雪するが、ほうきではけば無くなる」。山小屋でも前の夜に降った雪は踏まないで、降ったままの雪はすぐ除雪できるからと言われる。踏み固めてしまうと溶けにくくなる。金沢では積雪をほうきで掃くなど考えられません。

金沢では、近所の玄関先の除雪が面倒な家では、夜の間ホースで水道水を少し流しっぱなしにしておく。こうすると、多少水道代はかかるが、雪が積もらないので除雪の手間が省ける。これを大がかりにしたのが道路の融雪です。地下水をくみ上げて、道路のセンターラインに沿って1メートル程の間隔で30センチほどの噴水になっている。これで車道に雪は溜まらない。北陸の人は年配の方は冬は長靴で外出だからよいが、短靴では横断歩道が水没して渡れない。バス停などは地下水を直接流すと水浸しになるので、地面の下のパイプに流し雪を解かしている。地下水も水道水も冬でも10℃以上の水温ですから十分融雪に使えます。

もし黒姫高原でこの方法、水道水をホースで流しっぱなしにしておけば、朝になれば玄関先はスケートリンクのように氷が張っているでしょう。

北陸の雪は、ぼた雪、長野はさらさら雪です。平均気温が違います。北陸は日本海で蒸発した水蒸気を含む雪雲が西高東低の大陸の高気圧に乗って移動し、北陸の山にぶつかり雪を降らせます。気温は0℃以上なので、雲の中でできた雪の結晶は、降ってくる途中で6角形の結晶の枝が溶け始め、水分を含んだ ぼた雪となって降ります。これが積もった積雪は、雪の結晶の積もった空間に、液体の水が結晶の表面を覆い、さらに空気の隙間のある構造で積もります。氷と水が共存した状態なので、0℃より温度は下がりません。この積雪の表面から、0℃以上の水道水や地下水をかけてやると、水は結晶の間を伝って、雪を溶かしながら下に移動し、積雪全体が溶けていきます。シャーベットの塊が溶けるのと同じです。

一方内陸の長野では気温が0℃以下なので、雪は降ってくる途中で溶けることが無く結晶のまま降るので、サラサラ雪です。積雪は雪の結晶と空気の隙間の混ざった状態です。上になった雪の重さで空気の隙間がつぶされて圧雪されます。この状態では積雪は圧縮されて体積が減るだけで溶けません。昼間の気温が0℃以上になると、積雪の表面は溶けます。溶けた水分は雪の結晶の隙間を伝って積雪の下の方に移動するので、積雪の表面から数センチは雪と雪の結晶の表面の水分と隙間の空気の混ざった層になっています。この層が夜間の凍結で凍るとザラメ状の雪になります。積もった雪をシャベルで掘って、断面が見えるようにすると、圧雪された層とザラメ雪の層がミルフィーユのように重なっているのが観察できます。積もった雪は圧雪層もザラメ層も隙間に空気を含むので断熱材です。水や池に張った氷が熱を伝えやすいのと正反対です。熱の出入りは積雪の表面の空気と接した部分だけなので、積雪は表面から溶けます。

ミルフィーユ状の積雪は、時々、落葉などが表面につもりその上に次の積雪が層を作っているので層構造がいっそう分かりやすいです。積雪が溶けるのを観察していると、表面から溶けて順に下の層が現れてきて、雪と一緒に積もった落ち葉が現れてくるのが分かります。では表面で溶けた雪の水分はどこへ行くのでしょうか。

冷蔵庫の冷凍室に入れたロックアイスの塊は、いつの間にか痩せていきます。冷凍室なので溶けて水になることはありません。当然、固体の氷が気体の水蒸気になる昇華です。昔は冷却板が庫内にあったので、長く使っていると表面に霜が厚く付きました。氷から出た水蒸気は現在の冷蔵庫でも冷却板に霜となって付着しますが、冷却板が見えないところにあるだけです。水は温度の高いところから低い方にいったん水蒸気となって移動します。ヤカンの湯気が冷たい窓に結露するのと同じです。氷も蒸発します。氷より温度の低い冷却板があれば、いったん気体の水蒸気となって温度の低い冷却板の表面に霜となって移動します。水蒸気と湯気は違います。湯気は細かい水滴ですが、水蒸気は気体で見えません。水蒸気の割合が湿度です。0℃以下でも湿度はありますから。0℃以下でも積もった雪の表面から水蒸気となって減っていくことが考えられます。しかしこれでは雪面全体の表面から減っていく説明はできますが、樹木の周りだけ雪の減る根開きの説明にはなりません。

サラサラ雪の積雪もよく観察するとザラメ雪の層があります。日中気温が0℃以上になると表面の雪の結晶は溶けて水ができます。積雪の表面部分は0℃以上なので、溶けた水は雪の結晶の表面を伝って下に移動します。この時わずかずつ雪を溶かしていきます。堅い雪の結晶がこわれ丸まった結晶になり、体積が減ります。溶けた水は積雪の雪の結晶の隙間を伝って積雪の底に達して地面に吸収されます。積雪の地面に接した底面が地熱で溶けているのではないので、地面との間に隙間はできません。 こうして積雪は上から徐々に溶けて減っていきます。樹木が無くても、雪面に棒や、実験では丸く穴をあけただけでも、周りの雪面より溶けやすく、一度穴が開くと、上だけでなく、穴の側面も表面になり、表面積が増え、周りより早くよけます。これが根開きの穴です。昼間の気温が0℃以上になると根開きは成長しますが、また雪が降ると積雪で穴は消えます。

この原稿を書いているうちに、まだ春になったわけではないので、また積雪が多少増え、根開きが隠れました。近所でたまたま水道管の工事をしています。水道管の漏水のようです。水道の漏水個所の発見は水道屋さんの得意技ですが今でも聞き棒で音で見つけているのでしょうか。ユンボで水道管を掘りだしていますが、水道管を埋める不凍深度は長野では60センチ以上と聞いていましたが、1メートル程掘っていました。今年は積雪は少なかったけど朝方マイナス2桁の気温が続き水道管の凍結、漏水が多かったようです。雪は断熱材なので、積雪が多いほうが地下の凍結は少ないということです。【分類:水】

[ 2016/03/17 ]  『黒姫高原理科教室』 NO109. 積雪の溶け方

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NO110. カラマツ

黒姫高原の山荘の前にはりっぱな桂の木が立っています。この桂の大きな木が魅力で、この山荘を選んだ理由でもあります。樹高20メートル以上、幹回り1メートル以上です。雪が溶けると、丸い形の葉が付きます。その後赤い小さな花が咲きます。夏に赤い小さな花が数個付いた小枝がたくさん桂の木の下に落ちているので、最初は鳥が運んできたと思いましたが量が多く、桂の花は咲き終わると小枝ごと落下するのが分かりました。本には桂の葉はいい香りがするとありましたが、若葉のころは特に匂いは感じませんが、紅葉前に香るようです。 それまで庭木の桂の木の樹高が2階の屋根程度のものしか知らなかったので、この桂を最初に見た時はたいへん大きな樹木に感じました。

ところが信濃町の隣、戸隠に桂の木の天然記念物があるのを知り、見学にそこのお宅まで行きました。これぞ桂の巨木というサイズで1本の桂の木だけで、幹周りは10メートルを超え、ひとつの森のようです。お宅の方が、落葉を集め線香にして見学者にお土産に渡してくれました。山荘の桂の木はまだ若造でした。同じ落葉広葉樹でも、サクラのように40年ほどの寿命の樹木もありますが、桂の木は枝や、時には幹が古くなって落ちてきても、新しい幹が横から生えてきます。山荘の桂の木はまだ幹が2つに分かれてきただけですが、天然記念物の古木は太い幹が横にいくつも並んでいます。山荘の桂も、上から古い枝が落ちてきますが、古木の方は、丸太のような幹が古くなって落ちたものが地面に転がっています。山荘の桂の若木でも、周りの広葉樹に比べると、背は高いのです。

ところが桂より背の高い樹木は周りにたくさんあります。針葉樹のカラマツです。25メートルを超える木は普通にたくさんあります。他の針葉樹は、冬でも葉をつけていますが、カラマツは秋に黄色く紅葉すると葉を落とします。針葉樹で落葉するのはカラマツだけでしょう。黒姫高原には秋に黄色くなり、冬には葉を落とすカラマツの林が各所に見られます。 広葉樹の栗やブナが大木になっても20メートルを超えるのが無いのに、針葉樹は軽く30メートル近い高さなのはなぜでしょう。

井戸水をくみ上げる吸い上げポンプは10メートルより深くからは揚水できません。井戸の水面にかかる圧力の大気圧が水圧で10メートルなのでそれ以上吸い上げても真空になるだけです。一方 水道水は高層ビルの上の階まで給水しています。こちらは吸い上げポンプではなく押し上げポンプなので圧力さえかければいくらでも高くまで揚水できます。それでは10メートル以上まで水を吸い上げる樹木は押し上げポンプなのでしょうか。樹木が水を吸い上げるのは葉の蒸散作用によります。吸い上げポンプと同じ原理です。でもそれでは10メートル以上の樹高の木は水を吸い上げることができません。根の浸透圧は押し上げポンプの役をするでしょうがそれほど圧力はないでしょう。葉から水分を蒸発させることでできる陰圧による吸い上げポンプだけでは10メートル以上は水は上がりません。針葉樹の高い木では50メートルにも達します。この仕組みは何でしょう。

ポンプの配管を流れる水は、流体の水です。吸い上げポンプは最初、呼び水をしないと吸い上げません。流体の水は、途中を空気で遮られたり。配管に穴があき空気が漏れると途切れます。一方。樹木の水の流れる管はたいへん細く、この中を流れる水は分子の振る舞いが影響します。身近な例が毛細管です。特に動力が無くても、水を吸い上げます。毛細管とは、ガラスの細い管に限らず、水の入ったバケツのふちにタオルを渡しておくと、水がタオルの繊維を伝って、バケツの外にこぼれるのも毛細管現象です。配管でもサイフォンによって高低差を乗り越えますが、最終的には高いとこから低いとこへの移動だけです。

毛細管では水は上に登ることができます。水の分子同士がくっつきやすい性質、水の分子と繊維がくっつきやすい性質によるものです。水分子をはじくプラスチックでは、毛細管現象は起きません。井戸の配管を流れる水は、液体の水で、空気が入ると切れてしまいますが、樹木の中を流れる水は分子レベルでつながっていて、葉の蒸散作用でできた陰圧で、根からひも状につながって、吸い上げるので切れずに上がってきます。水道管の中の水でもこの分子間力は働いていますが、水の重さの方が大きいので無視されます。細い管の中では、重さの影響が減るので、分子間力の影響が出てきます。

それでは樹木の中の水の流れる管とはどんなものでしょう。中学の理科で、導管、師管とか維管束といった言葉を習ったはずです。根から葉に流れる水の管が導管、葉でできた養分を含む樹液を根に送るのが師管です。この2種類の管を合わせて維管束と呼びます。

また理科では、植物は裸子植物と被子植物があり、裸子植物はシダや松などの針葉樹、裸子植物は多くの草花や広葉樹が分類され、進化は裸子植物から被子植物へと進んだと習ったはずです。針葉樹と広葉樹の区別は以外と難しいです。檜は松と同じ針葉樹と推測できますが、イチョウの葉が針葉樹とは困難です。葉の形より進化を考えた方が分かりやすいです。イチョウなどは古代の植物の名残、広葉樹は最後に森を作るもの。

黒姫高原の住人はチエンソーで丸太を切ることが多いのでご存じでしょう。針葉樹の杉と広葉樹のナラの堅さの違い。実は英語では針葉樹に相当する言葉はsoftwood,ソフトウッド、広葉樹は逆にhardwood,ハードウッドです。葉の形ではなく、木の堅さです。森を愛でる日本では葉の形、森を開墾する国では木の堅さで表現とは象徴的です。確かに針葉樹の断面は割とすかすかです。切りやすいです。広葉樹のナラは堅くて火持ちが良いので薪ストーブの燃料によく使いますが、切るのは大変で、幹も目が詰まっています。

この違いは水の吸い上げ方にあります。広葉樹の水を吸い上げるのは導管と言って根から葉までつながった細い管です。幹の細胞が縦に上下につながってできた細い管が根から葉の先端まで1本につながっていて、たいへん効率の良い吸い上げシステムです。広葉樹ではこの導管は吸い上げ専用で、木の幹を支えているのは別の木部の繊維です。広葉樹の幹には、導管と師管と木部から成る維管束があります。この繊維のおかげで、広葉樹の幹は堅くできています。ただしこの導管は欠点があります。根から葉の先端まで1本のつながった管なので、途中に空気がはいると吸い上げなくなってしまいます。切り花を花瓶に生ける時の水きりの要領です。切り口から空気を吸い込んだ植物は水の吸い上げができず枯れます。広葉樹の導管も、幹に傷などができ気泡を吸い込むとその導管は働かなくなります。もうひとつ、導管は凍結に弱いのです。そこで寒冷地の広葉樹は冬季には葉を落として蒸散作用が働かなくして水の上昇を止めます。

一方進化する前の針葉樹では、まだ道管ができていません。幹の中には仮道管という管しかありません。木を支える専門の木部繊維が無く、幹の中は仮導管だけが詰まっています。このため、すかすかなのです。仮導管は導管と違って、1本のつながった管ではありません。上下に端のある管です。この管が上下にずれて幹に束ねられています。導管より細い管で、管同士は横に穴があってつながっています。導管は効率的に大量の水を吸い上げるように進化しましたが、仮導管を持った針葉樹では、水は遅いですが、一気に管を登るのではなく、隣り合った横の管を伝って幹の中を上がっていきます。管が上下につながっていないので、空気で切れることが無いので、いくらでも高く吸い上げられます。凍結にも強いので針葉樹は寒冷地でも落葉しません。

温帯では森は最後には進化の勝者の広葉樹の森になりますが、寒帯では寒さに強い針葉樹が圧倒しています。冬季に凍結する黒姫高原では背の高い針葉樹が元気なのです。【分類:水】

[ 2016/03/17 ]  『黒姫高原理科教室』 NO110. カラマツ

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